居間の文庫本棚の、4段目・右から28番目。
「暗闇へのワルツ」ウイリアム・アイリッシュ 高橋豊訳 ハヤカワポケットブック 昭和50年10月15日 4刷 720円
古い本ではあるが、新刊で買ったと思う。多分、中学生くらいで、千葉の多田屋あたりではなかったろうか。
私はアイリッシュ作品は大好きであって、本書はその中でも好きな一冊だ。アイリッシュファンには、本書は「あまり好きでない」という向きもあるかと思うが、私はなぜか好きなのである。
本作は、サスペンスだとかミステリの皮をかぶっているが、本質的にはメロドラマなのだ。
しかも、冷静に考えると、大してリアリティの無いメロドラマなのである。
アイリッシュ作品は、なんでこういうことができるのか知らないが、読み終えて本を閉じたときに「リアリティの無いメロドラマだ」と思うようなストーリーにも、読んでいる間には深い深い実があるのだ。読者は、真実と共にあったことを確信している。だから、何の恥ずかしげもなく、「アイリッシュの『暗闇へのワルツ』を私は好きだ」と言えるのである。
こういうタイプの作家は、要するに人の感情移入をいいように操ってくるのである。
「暗闇へのワルツ」は、ものすごく簡単に言うと、主人公=金持ちの男が悪女につかまり、男の側はずっと愛しているのに(悪女だとわかって愛している)女は彼の金だけ愛していて、最後には保険金目当てに男を殺そうとする話である。(保険金殺人の前にも、複数の殺人がからむ)
ポケットブックで400ページ近い長編の間、読者はずーーっと主人公の男に感情移入させられる。
悪女には、これっぽっちも感情移入しない。感情移入しなくていいように操作されているのである。
それが、最後の最後になって、作者は悪女への感情移入を仕掛けてくるのだ。ラストまで、ほんの十数ページを残した時点で仕掛けてくるのである。
読者は、それを受け入れるしかない。なぜならそれは、長編の間、ずっと感情移入してきた主人公が望んでいることであるからだ。到底断れるものじゃない。
最後には、読者は二人に感情移入するだけでまったく満足してしまい、ミステリとしての結末さえどうでもよくなる。
物語は、最後に警察が踏み込んできて幕切れとなるのだが、作者は警察が何の罪を追って来たのか読者に知らせないのだ。作者と読者は、全然別の罪の話をじっくりしているところなので、殺人も死体遺棄も、あんまり関係無いのである。


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