居間の文庫本棚の、上段右から27番目。
「ダブル・ダブル」エラリー・クイーン 青田勝訳 ハヤカワ文庫 1994年12月31日 18刷 620円
エラリー・クイーンものには珍しく、ヒロインらしいヒロインが登場する作品。
ヒロインの名はリーマ。「緑の館」のリーマにあやかっているというか、悪く言うとパクッているというか。鳥と親密なコミュニケーションを取れる、「鳥娘」として描かれている。
カバー裏にも書いてあるから、ネタバレには当たらないと思って書くが、この作品は「童謡殺人」である。
なぜだかわけが分からんが、童謡の歌詞のままに人が殺されていくという、あれである。クイーンは、過去にも「生者と死者と」で童謡殺人をテーマにしている。
私は、基本的に童謡殺人は好きでない。
なぜ、童謡に従って殺人が行われなければならなかったかの説明が、ほとんどの作品で弱いからだ。
だって、現実にはあり得ないもんね。
童謡に従って事件が起こる本当の理由は、作家の読者サービスなんだもんね。それを正当化するには、よほど魅力的なストーリーと、筆力が必要だ。
私の個人的な好みだが、世の中で、童謡殺人で成功した作品は、クリスティの「そして誰もいなくなった」だけではないだろうか。
「そし誰」は、独特な雰囲気があって、童謡殺人も、普通ならあり得ない動機も、「まあ、いいだろう」と思わせる世界が、きちんと完結しているように思う。あれに、ポワロを出さないところは、クリスティ女史の見識である。出さなくて、大正解だ。
「ダブル・ダブル」も、童謡へのこじ付けが、私は弱いと感じる。
そもそも、何でクイーンはこの作品で、童謡殺人を描いたのだろう?(「生者と死者と」は、マザーグース殺人やってみたかったんだよね、的な空気がわずかに感じられる)物語の彩り? それとも、個々に繋がりのないように見える人たちの連続死を描くのに、童謡殺人が最適と考えたのだろうか。
童謡殺人にしたことで、この作品の犯人は、より冷酷に見えるが、それが目的だろうか?
冷酷な犯人の素性が明らかになった物語のエンディングで、「鳥娘」リーマは、悲しい顔のまま読者の前から姿を消すが、彼女を描写するクイーンの筆は温かい。「そし誰」を真っ暗なまま終わらせたクリスティとはえらい違いだ。
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