※処分箱行き
「有馬頼義推理小説全集〈2〉夜の配役ほか15篇」有馬頼義 東邦出版社 昭和46年3月30日 初版 890円
古書で購入。どこで、いつ買ったのかは忘れてしまった。現在は、一応本棚に置いているが、実を言えば、長年「処分しちゃおうかな……」と思っている本である。
収録作品は、
「夜の配役」
「三十六人の乗客」
「立花悦子の犯罪」
「ネバダの墓標」
「冬の詩」
「暑い部屋」
「謀殺のカルテ」
「女は階段を下りたか」
「靄と眼鏡」
「燃え、消えた」
「少女の眼」
「情状」
「孤独な倦怠」
「白い道の少女」
「バラ園の共犯者」
「巷の噂」
以上、16編。目当ては、「少女の眼」だった。
現在、有馬頼義は、どのような評価を受けている作家なのだろうか?
本書に収録の作品は、基本的にはミステリとして扱われているのだと思う(推理小説全集だし)。しかし、中には、ミステリと呼ぶのはどうかなと思えるものもいくつかある。犯罪があって、犯人がいても、これはミステリと言えるのだろうか、と思えるものがあるのだ。
また、本書の収録作には、ラストが弱いと思えるものもある。そして、正直、「古い」と思う作もあるのだ(たとえば、「冬の詩」とか)。
全体的に、私は本書を大好きとは言えない。しかし、それでも今日まで手元に置いてきたのは、私が本書の作品群をはじめて読んだときに、「この作家は、日本のミステリ作家の中で、一番アイリッシュに近いものを持った人じゃなかろうか」と思ったからだ。アイリッシュ愛が、本書を手放すことをためらわせてきたのである。
ただし、ほかの人が本書を読んでも、アイリッシュを感じるのかどうかは分からない。私は、有馬作品について、人と話したことが無いのである。多分、一度も無いのじゃあるまいか。
私は、なんとなーく、「有馬頼義を読みました」ということに、気恥ずかしさを覚えるのである。
別に、恥ずかしい小説じゃないはずなのだが、なんだか私はそう思うのである。
有馬作品の持っている通俗性は、アイリッシュ作品が持っているそれよりもずっと強い。だから気恥ずかしいのかな、と思う。
もう一度読み返してみて、これを機会に処分箱に移動させるかもしれない。(追記:移動させました)
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